『後ろ傷』

――その傷は、女房から得た傷です。

 わたしが思い付きで持ち込んだ原稿が無数に機械生産されるようになって何年か、いまいましい無機の文字が印字されている紙束を持った青年が(『本』というのです。わたしはあまり好みません)、わたしの生家を訪れました。それが、二年も前の話になります。

「そう動かれては、わたしの文字も揺れてしまうよ」
 言うと、呼吸をしているかとまで疑わしくなるほどに、かれは押し黙ってしまいます。
 わたしの目の前にはかれの大きな背が、そして手元にはなじみの万年筆がにぎられておりまして、つまるところ、わたしはかれの背を紙に見立てて文筆にいそしんでいるのです。何度か皮を抉られたかれの肌には、薄くべにいろに色づいた無数の傷が刻まれていました。
 先のわたしの言葉通り、かれの背はよく動きました。はあ、とかれは息づき、白い肌を耳まで朱くしてわたしの万年筆の先を背に受け止めているのです。
 わたしが年若い青年の背に文字を走らせる変態性癖であるなどと誤解を受けてもなんですから、いちおうの釈明とさせていただきますが、これは青年から言い出したことでした。……ああ、いえ、それを受け入れてしまっているわたしも、ひどい変態性癖である事実を持っているのでしょうが。
 出会ったばかりの頃のかれが言うことには、わたしのつづった言葉というものは『非常にうつくしいもの』であるらしく、するとわたしが神や仏であるように思えてくるらしいのです。
 さて、最初の数週間は居心地が良いようなわるいような、面映ゆい気持ちでかれを迎えていたのですが、どうにもかれは本当にわたしを慕っているらしく、家事をこなしてみたり、わたしの背を流したりと従順にわたしの世話を焼きました。

 わたしは時折(と言っても、月に何度かというほどには)、癇癪をおこしておりました。恥ずかしながらその時ばかりは自制がきかず、わたしは物々を壊し、果てには泣き崩れてしまうような、女々しい男なのですが、そんな状況を見たかれはわたしの手を取り、母親や、或いは神様にも見えるようなかおで微笑みました。それが、半年も前の話です。

 その日も、かれに背を流されました。わたしには背を流すかれの満足げな態度の理由はわかりませんでした。癇癪をおこして暴れまわりはしたものの、わたしはそろそろ体力の衰え始める時期であり、さらにはもともとインドア―な人間でしたから、からだ中に疲労がまわっており、背中には覚えのない傷ができておりました。もう年だと、思い通りにいかないからだにほとほとため息が出るくらいです。
 青年はやはりどうにもすっきりとした顔で、愛しの女に触れるようにわたしの頬を包み、厳しい父親を孝行するようにわたしの背を流しました。

 次の晩のことです。浴衣を肩からはだけさせ、かれはわたしに背を向けました。まさか背を流してほしいとのたまうではあるまいてと言葉を求めると、かれは微笑むだけでした。
 なし崩し的に、わたしはかれの背に物語を綴るという、奇妙な依頼を受けました。

 震える背に、鞭痕のようにみみずばれが這っていて、かれの背はいつの間にやら、いやに妖艶な雰囲気を孕むようになっておりました。心なしか、女の香水のにおいをつけているようにさえ思い、座敷の隅に投げ出された白いシャツへと視線を向けると、大人の女がつける、あかい口紅がこびりついておりました。
 わたしが出版社に持ち込み、最初に無機の文字へと変換されてしまった愛しい物語を思い出します。その物語には、今のかれのような、ひとりの男がおりました。女とあそび、果てには去勢されてしまう、小さな野良のいぬころの話でございます。便宜上彼は人間としておりましたので、こちらも便宜上男と表記いたしますが、この去勢された男、もとは精悍な、日本男児でございました。ところが女の味を覚え、女を喰い、女に飼われて、男と遊ぶ女の一人となるのです。不思議な話でございましょうが、実際に逸物を切り落とさずとも、女になるというのはいやに簡単で憎たらしい、世のおとこというものはどうしようもなく女によって出来上がっていたものですから、ともかくそのようなお話でした。
「ひどい女になるね、きみは」
「おっしゃる意味がわかりません。ぼくは男です」
 私の言葉をうけたかれはそんなことを言ってわたしに振り向き、微笑みました。まるで花街の娼婦か、あるいは母親か、またあるいは神様のような微笑みでした。
 かれもいわゆる『良い男』でございましたので、このまま去勢されてはいけないと(そう、わたしの描いた物語のように)、忠告してやったつもりでいたのですが、はて、わたしが書いていたのはどのような話であったか。青年からは同意を得られませんでした。
 そのことに、わたしはひどく動揺しました。裏切られたような気持でさえいたと思います。かれはわたしの書いたおはなしをすべて読んでいるものだと思っていたからでしょうか? いいえ、そんなことはありません。けれども思ったような反応が返ってこないことが、ひどく恐ろしいことのように感じ、その日は青年を早々に、家に帰してやりました。
 
 そのまた次の日の夜のことです。いつの日か癇癪をおこしたわたしを受け止めた日のような、優しく美しい笑みで、「ねえ、先生」とかれはわたしに語り掛けました。その異様なほどの穏やかな雰囲気に、わたしはただぼんやりと返事を返すだけでした。
「ぼくの背に書かれた文章は、どうして本にならないのでしょうか」
「それはね、わたしが書き留めていないからよ」
「ぼくの背に描かれたものを、ぼくは知らないのです」
 うすぼんやりとした頭で、あぁ、それもそうだなとなんとなしに思いました。ただ、それをどうこうとしようとは思いませんでしたし、どうにかできるとも思いませんでした。この時代、写真なんかもありますし、わたしが原稿用紙に書き写さなくても簡単に複製はとれるのですが、どうしてだか、かれの背に書いたおはなしだけは、風呂場で湯に流される青いインクが不可逆であると、わたしはただ見つめているばかりでした。
 おはなしはそれだけで、ほどなくして青年は私に背を差し出しました。みみずばれの小さく残る背でした。先日の中断された文章は一字一句流れずに、青いままでした。いくつかシャツに擦れておりましたが、それも可読範囲でありましたので、かれはやはり本当に私の文章がすきなのかと感嘆したものです。

 次の日から、青年はわたしの家を訪れなくなりました。

 それから何か月かしてから、今まで通りの表情で玄関の扉を開いた青年に、わたしは思わずため息を漏らしました。なにかおはなしをするでもなく、かれは数か月の空白をなかったもののように、あたりまえに家に上がり、わたしの分の茶と決まった場所に入っている茶菓子を取り出して、わたしの書斎に踏み込むのです。

「ねえ、青年」、「はい、先生」と矢鱈に形式化してしまった問答を経て、わたしは数か月の間に浮かんでいた疑問を質しました。
「どうして背にかかれた文章のおはなしを、きみは知らないというのに、本になっていないと言えるのだろうね」
 かれは驚いたように目を見開いて、それからくつくつと肩を上下させて笑っておりました。腹を抱えて笑うことを恥じらって、上品に笑うことをつとめているようにも見えました。
「ねえ、先生。忘れてしまったの。先生は、もう一年半も本を出していないのよ」
 そう聞いて、かっと湧き上がる熱がありました。吹き上がるといっても過言ではありません。ハと気が付いたときにはもう遅いのです。矢鱈に身を襲う熱は、物々を壊したり、泣いたりして収まるようなものではありませんでした。一年もの間、私はその熱の感覚を忘れていました。

 敷布団も敷かない畳の上で、わたしの拳を待つまでもなく、かれは脚を開きました。母親のような、淫売の表情でした。拳を振り下ろす前に背に腕を回されて、ほとんど一年も前になる風呂場での背中の傷はこれだったのかと、今更にも癇癪の中でも冷静な『誰か』という、わたしが、そんなことに気が付きました。女が男を求める時の傷痕でした。
 かれの着物を脱がす際、わたしはかれが一度だけ読ませてくれた、かれが著した小説のことを思い出しておりました。学校のプリントの裏に書かれた、活版印刷とは程遠く、わたしが一番あこがれたもののすがたであります。あの端正で繊細な筆致によって描かれた、エロティックでバイオレンスな小説は、女のように甲高く喘ぎ、わたしの背に爪を立てる彼と等しくありました。
 わたしの暴力をゆるし受け入れ、母や、あるいは神様のように微笑む青年は、かれにとってのわたしのような存在とひとしいであろうかと自身の胸に問います。けれども一年前、耳にささやかれたのは「かわいそうに」という一人のわびしい男に対することばの一つでありました。ああ、それがどうしようもなく、いまさらながらに情けない。

 かれが信仰したのはわたしという文章の母であって、わたしという男ではなかったそうなのです。背に後ろ傷を刻む女を、かれは慕っておりました。これを嘆かずになんといいましょう。
 あの日青年を掻き抱いたわたしがただの男であったのならば、おそらくはただの癇癪持ちの男が乱暴をしたということでまるく収まったのですが、その後の青年との交流で、どうやらわたしは作家という、女の病理におかされていたのだと、ここでようやっと気が付きました。わたしは、かれの背に傷を刻み続けておりました。
 あの問いを向けた時、去勢されていたのはわたしのほうなのです。