「可哀想に。生み落とされたが運の尽き。
美しいってのはね、それだけ削り落とされた存在ってことだよ。
そこにあって、そこにあり続けて、絶望を重ねても、ただあり続ける」
「死にたくなるくらいに嘆かわしい」
商店の立ち並ぶ都の広い煉瓦道を弾み足で歩くウルを、アーサーは数歩後ろから見ていた。見ていたというよりは、睨みつけていた。
行き交う人々がチラチラと二人の少年へと不躾な視線を向ける。ステップを踏みながら軽やかな足取りで大通りを歩くウルにそれを気にした様子はなく、視線を向けていた人々と視線が合えば遠目に微笑みかけ、挨拶するように手を振った。
様々な歴史を持つ土地が寄り合ったこの国の性質上、獣の特性や器官の一部を持つ人間は特殊と言い切るほど珍しいわけではなかったが、それにしたって艶やかな銀色の髪は行き交う人々の目を引いている。
「きゃっ」
「大丈夫?」
アーサーの目から見ても人形の様に端正だと感じるウルの顔貌は、転んだ少女の手を取っただけでその少女を恥じらわせた。
何度目かわからない街中でのやりとりにため息をついて「お前、目立つ。邪魔」と顔を顰めて吐き捨てたアーサーに対し、ウルは微笑みを浮かべたまま「ごめん?」と語尾を上げて謝った。
何に呆れ返っているのか理解していない表情によって、アーサーの怒りを買ったのが約五分前の出来事だった。
「っていうかお前、なんでついてくるんだよ」
「なんで? 今はアーサーがおれのうしろに居るけどね。アーサーの目は頭の後ろにでもついているの?」
「あ? お前は鳥か? 俺の頭をつつきやがって」
「どっちかって言うと狼だねぇ」
「わかってて皮肉で返すな」
公園の噴水が大破して三週間が経った。アーサーは極彩色の花畑を毎日探す理由もなくなり、利便性の面からもローレンスと過ごした屋敷で過ごすようになっていた。
——二週間前、数年分の埃が積もった屋敷の掃除を、アーサーはやっとのことで終えたところだった。気を緩めて寝坊したアーサーが目を擦りながらロビーへ向かうと、ウルは当然の様にソファに鎮座し、ティーセットを広げて「ミルクどこ?」と笑ったのだ。直後にルームスリッパが高い音を立ててウルの額に衝撃をもたらしたのは言うまでもない。
アーサーは空を見上げ、足を早める。高く空にかかった灰色の雲がじわりとその色の濃度を増していた。少しすると降り始める空だ。
「ミートパイが食べたいなぁ」
「あぁ、ミンチ面倒だし店で買っても良いな……じゃねえ。なんでうちに来る?」
アーサーは追い出しきれないままウルを迎え、ウルはあの家に住み着いた。
あっけらかんと笑うウルを追い立てて、アーサーは結局その隣を歩きはじめる。大通りを歩く人々こそ二人へ視線を注いでいたが、通りに面する商店の店員たちはアーサーが幼い頃からの顔馴染みである故か、何度か目にしたことで慣れたのか、既にウルを見たところで視線を留めなくなっていた。
「包帯とジャガイモ買ったお金を返してないし?」
「じゃあ返せよ今すぐに」
「お金持ってないし!」
「おまえ! この三週間何してた!」
今まで、ウルはなにもずっとアーサーに付き纏っていたわけではない。姿を消したかと思えばふらりと風のように現れる。街で小遣い稼ぎでもしていたのだろうと思っていたが、それは違うらしい。では何をしていたのか?
神妙な顔つきでううん……と考え込み出したウルに、アーサーはじっと視線を寄せる。
「散歩?」
「ふざけんなクソ狼!」
諦めがついてきて深いため息をつくアーサーをよそに、ウルは呑気な顔のまま通りの商店の一つのショーウインドウへ視線を向ける。そして、引き寄せられる様にガラスケースへと近づいた。
ショーウインドウの奥を見つめ、目を瞬かせたまま動かなくなったウルに、アーサーは隣から二色の双眸の視線の先を覗き込む。
「アーサー。これ、何?」
「うん? 何って、ただのレモンドリズルケーキだろ」
「レモンのケーキ?」
「そう。もしかして、食べたことねえの?」
ウルは首を縦に振った。
「家庭料理……っていうか菓子か。家で作る時はこんな豪華じゃないけど」
視線がアーサーへ戻ることはなく、その視線はレモンケーキへと注ぎ続けられている。アイシングで薄い白のドレスを纏った、素朴ながらも美しい造形の装飾だ。
ペイストリーで売っているからこそ見目美しく作られてはいるが、アイシングで表面を固めたケーキ自体は家でも簡単に作れるお菓子で、さほど珍しいものでもない。レモンドリズルケーキという名称に小首を傾げながら単語を拾ったウルは、そもそもこのケーキを知らなかったのだろう。
製菓を趣味としてそこそこに楽しんでいたアーサーにとっては、この類のケーキは改めてケーキ屋で買うほどのものだとは思っていなかったが、ショーウインドウに注がれたままの熱い視線を無碍にできるほど、アーサーはウルのことを嫌ってはいなかった。
「食う?」
「いいの⁉」
「俺も久しく食べてねえし」
銀の尻尾をぶんぶんとはちきれんばかりに振り回すウルに対して、アーサーは悪くない感情を抱きながらペイストリーの扉を開ける。
顔なじみの店主が「久しぶり、アカちゃん」とカウンターへ肘を突きながら声をかけた。五年の間に店主の親父が王宮のパティシエになったことで店を継いだのは、当時からユニオンホールに菓子を作って届けていた息子の方だ。
注文を終え、カウンターの奥で従業員がケーキを箱に詰めるのを背後に店主は興味深そうにウルを見つめる。
「狼さん。きみ、商店組合でちょっと話題になってるよぉ」
「……そうなの?」
「そう怖い顔しないでぇ? 商店街の連中が噂好きなだけだよ。まあ、一番はアカちゃんが連れてきたってことだよねぇ」
「あ? そんな珍しいことじゃないだろ」
アーサーは低く疑問詞を返す。「アカちゃんが連れてきた」ではなく、実際はウルがアーサーに勝手についてきただけなのだが、そこは大した問題ではない。
疑問に思ったのは、アーサーが誰かと一緒に商店街を訪れるのは特別珍しいことでもなんでもないという点だ。一年ほど前から最近までは一人で行動することが確かに多かったが、それまでは普通に都で暮らしていたわけで、幼いアーサーを心配してか、つっぱねられながらもユニオンの専門魔法士も買い物によくついてきていたのだ。
「だって、すっごい美人さんだから? 思い出すよねぇって」
「思い出す? それって、」
ウルが食いついた瞬間、厚いガラス板が強く叩かれた。
カウンターのガラス板の上に乗ったのはアーサーの拳だ。アーサーは財布を取り出してケーキの代金をカウンターへ置く。
「アーサー?」
「ケーキ、詰め終わったみてえだけど」
伺うようにウルが名前を呼び、しかしアーサーはそれに応えなかった。
ウルは突然変わった話題と雰囲気に状況が掴めないまま、アーサーの表情を気にするように少しだけ屈みながら隣を歩く。
「あ、丁度ね。毎度ありぃ」
目に見えて不機嫌になったアーサーを店主は気に留めた様子もなく、カウンターから出ると用意された紙袋を手に取り、二人を店の出入り口まで案内する。
「今日中に食べてね」
「ああ」
店主はケーキの入った紙袋をアーサーに手渡し、微笑む。
「来週の安息日は、ちょっとお店閉めるかも~、みたいな? ケーキの大量発注が来たんだよぉ」
「……そう」
「アカちゃん。友達は大切にね」
「余計なお世話だ」
店主が手を振る。アーサーはそれに応えず、ウルは会話の内容を疑問に思いながら足早に去るアーサーの後を追った。
ケーキを買った足で大通りに面した肉屋で挽肉を買い、その日の夕食は無事、ウルが要望した通りのミートパイになった。
猫を膝に乗せたままサンドウィッチをローテーブルに広げ、摘みながら薄暗い書庫で本を読み漁っていたウルは、同じく書庫の隅で仲介書類の整理をしていた青年がぼそぼそと読み上げた、聞き覚えのない名前に顔を上げた。
「カルム、今なんて? ナニサマ?」
「レン様のことですか? ……本名はレック・ブライアローズ・シュテリットハイム。
『暁紅の魔術師』とか言った方が通りが良いんでしょうか? 我らがユニオンの稼ぎ頭として有名な方ですよ」
カルムは聞き返された名前に対して情報付きで返した。魔法を生業としている専門魔法士たちが集うこのユニオンで仲介の受付をしているだけあって過不足ない情報だ。
ウルが都の外から来たことを知っているために付け加えられたらしい彼の通り名は、どちらにせよウルにとって聞き覚えの無いものだ。
しかし、最初に聞いた愛称には聞き覚えがある。ウルは思わず口角を上げる。機能を持たない銀の尻尾も埃っぽいソファの音を立て、埃を舞い上げていた。
ウルの膝に鎮座し、その体温で季節外れのブランケット代わりになっていた猫が、揺らめくウルの尻尾を追いかけて膝から降りる。
「その人、昔からこのユニオンホールを拠点にしてるよね?」
「はい。アカちゃんから聞いたんですか?」
「見かけたことがあるんだ。黒い髪のかわいい女の子」
「そうですね、黒髪を見間違えることは無いと思うので、……」
カルムの言う「レン様」五年前にアーサーと共に聖域を訪れた「レン」だと確信する。
ウルは読んでいた本を床に落として歓喜に震え、思わず立ち上がった。尻尾を追いかけていた猫がにゃあと声を上げ、自分が意思に反して立ち上がったことに気がついたウルはもう一度ソファへ深く座り込む。
三週間この場所——ユニオンホールの地下書庫で調べ物をしながら、アーサーの仕事へ茶々を入れたり、屋敷へ押しかけて寝食を共にしたというのに、五年前に花畑を訪れた二人の姿は一度も見ていなかったのだ。
普段とは違った様子を見せたウルに対し、カルムは気まずそうに眼鏡の奥の視線を泳がせ、付け加える。
「まあ……彼は男性ですが。長く髪を伸ばしてましたし、昔から性別を超越した魅力を持つ方なので、勘違いされる方もけっこう居ます」
気まずそうに言い淀むカルムの気遣いをウルは一切理解し得なかったが、特に気にすることでもないだろうと流すことにした。
なんにしても、アーサーの友達はやはり近くにいたのだ。
ウルは弾む心を隠さないまま、落とした本を拾い上げ、続きのページを開く。元々、内容を丁寧に追っているわけではなかったので、カルムの話を聞きながら調べ物を続行することにした。
冷静そうなもう一人の彼の名前は当時聞かなかったが、それよりもぐっと目立つ容姿をしていた「レン」を見かけずにいたことは不思議に思うほどだ。
街中ですれ違えば気がつくであろうし、そもそもウルの耳は聖霊のさざめきを捉えることに長けている。彼ほどの魔力を持つ人間が魔法を行使すれば気がつかない方が難しいだろう。
であれば、そのレン様とやら一度も会っていないと考える方が妥当だ。
「レン様は普段、都にいないの?」
「黒髪の魔法使いがフリーの専門魔法士をしているわけですから、難しい依頼や名指しの依頼が多くて不在がちです」
「まあ、そうなるか」
「日中に帰ってくるのは、ほぼ三年ぶりですね」
パラパラと本を捲りながら目当ての単語を探すも、やはり収穫はゼロだ。
「うん? 帰ってくるんだ」
「珍しく、都での仕事を受けられたので。今度の安息日だったかな……」
「へえ」
何にしても、アーサーの友達が帰ってくる。その事実にウルは心を弾ませた。五年ぶりに再会してから追いかけたアーサーの背は、いつも一人だったからだ。
タイミングを逃し続けて渡せずにいるローレンスの遺品だって、五年前の状況を考えればアーサー一人だけではなく、一緒にいた友達がいる時に渡した方がずっと良いだろう。あの場でローレンスが何を守ったのかを知っているのは、いまだにアーサーだけなのだから。
アーサーとレンが揃ったら、冷静そうな橙色の彼の居場所も聞いて、三人の前で遺品を渡そうと心に決めた。
「調べものは終わりましたか?」
「そう見える?」
「いいえ」
カルムは困ったように眉を下げ、首を横に振る。
「というか、何を調べてるんです?」
立ち上がったカルムは手に持っていた仲介書類をテーブルに置き、メガネを直しながらウルの手元へと視線を向ける。
ウルが読んでいた古い本は『伝承書記』と仰々しいタイトルを冠してはいたが、実際のところはただのデタラメなオカルト本だった。
「ざっくり言うと三千年前の悲劇について、かな」
「あぁ、それで国立図書館じゃなくユニオンに来たんですね」
「当たり!」
長い歴史を誇る国立図書館は世界でも最大級の蔵書量を誇るが、検閲も入る。こと『伝承』にたどり着くのは困難を極めた。
その点に関してユニオンは長い歴史を持ち、多くの魔法士が関わった機関だ。その書庫ともなれば、王国の検閲の入っていない古書や研究資料でも見つかるのではないかと考え、ウルはユニオンホールへと足を踏み入れたのだった。
それすらも、ウルが求めている情報には届かなかったわけだが。
「『悲劇』の事なら、アカちゃんに頼んでローくんの書斎を見させてもらっても良いと思いますよ? 彼は研究熱心だったので」
「ううん。調べてるのは〈神殺し〉じゃないから」
そうですか、と返したカルムはウルがテーブルに広げていたサンドウィッチを一つ手に取り、確認を取るように視線を向ける。ウルが頷くと、幾分緩んだ表情で美味しそうにそれを頬張った彼は、書類を置いた作業テーブルへと戻った。
「カルム、きみはなにか知ってるの?」
「ユニオンマスターから、彼らの血統魔術について概要を聞いただけですよ」
「もう一声!」
「……ローくんは色々と利用していたようですが、彼のオリジナルでしょうし」
「うぅん、やっぱり遺された魔術ばかり残るよねぇ」
「そればかりは、仕方ないですね」
苦笑したカルムに返す言葉はない。〈神殺し〉の魔術が現実に残っていることはウルも目の当たりした上に、一週間ほど手の腫れが引かないほど、その魔術が強力なものであることも認識しているのだ。
ウルは読んでいた本を書棚に戻し、石の階段へ足をかける。先ほどまでウルの尻尾に戯れていた猫はウルが座り込んで座面が温まったソファに丸くなっていた。
書庫を出ようとするウルに挨拶でもしようとしたのか、視線を上げたカルムの姿が目に入る。
「ありがとう、カルム。またサンドウィッチ差し入れに来るね」
「はい。今日のは美味しかったですよ」
「ここ数日ずぅっと森で狩りばっかしてるアーサーにも、今度ケーキ作ってもらうようにお願いしてみるよ」
ケーキ屋さんのも美味しかったけど、アーサーのが一番美味しいんだ、とウルが笑うと、眼鏡の奥で穏やかな色の瞳が瞬いた。視線を外してなにかを小さく呟き、「……はい。今度はぜひ、一緒にいらしてくださいね」
もう一度ウルの顔を見上げた彼は、今日一、穏やかな声音で微笑んだ。
「不思議ですね。黒い髪と銀の髪なんて似ても似つかないのに、面影を重ねるなんて」
「見た目が美しいトコロは似てる?」
「ええ。知ろうとしなければ、中身が見えないほどに美しい」
「毛並みこそ艶やかだけど、目のヒカリは天から程遠いね。そこらの雑種と同じ」
「……ウルくんが居るなら、きっとアカちゃんも大丈夫ですよね」
沈黙が続く。
思い出したように、天から降り注ぐ声が響いた。
「あぁ、アカのボウヤに恋しているトコロも似てるよね」
「本気で言ってます? 貴方も冗談を言うんですね。スプーキー=シャドウ」
カルムは猫を撫でながら、ソファへ体を沈めた。地下の図書館にはカルム以外、人の姿は見えなかった。
陽が沈み、空は一面の暗幕に覆われていた。聖霊の少ない都周辺では空気が悪い上に光が強く、空にはポツリポツリと輝きの強い星々が点々と輝くだけだ。
男が、都の外れの住宅街を歩いていた。
ざっくばらんに切られた髪は柔らかく、陶器の様な肌が街灯に照らされる。目鼻立ちのしっかりした造形は、成長期を終えたであろう作りのはっきりとした顔つきでありながらも性別を感じさせず、人形と見紛うほどに完成され尽くしている。
黒い睫毛に縁取られて血よりも深く、夜明けの朝よりも確かな輝きを持つ紅の瞳が、呆れ返った様に半ばまで伏せられた。
「あー……。迷子だな? これ」
地図を片手に、青年は首を傾げる。街中にそびえる巨大な時計塔を視界に入れず、地図を逆さに持って踵を返す。
明らかに都の近くに来ていることは明白だ。青年がそう思って二時間が過ぎた。
街中に入ったところで、彼の方向感覚では見知った場所に出なければ同じなのだが、大きな都の中にすら辿り着けないと、微妙に人のいる場所で野営する羽目になる。彼は人目を気にする様な性格ではないものの、避けたい状況に近づきつつある。
目の前に見えていた都から全く逆の方向に進み始めた青年の視界の先には都市圏の住宅としては広く美しい庭が広がるデタッチドハウスと、いくつかの畑があった。背後に広がる黒煙と工場、それから時計塔と数々の大きな施設には気が付かずに閑静な住宅街を歩き進める。
「そんな事だろうとは思ったが。まさか本当に真逆に進むとは思わなかった。」
「ぁン? 生きてたのかよクソ野郎。久しぶり」
「死んで如何する。」
背後から掛かった抑揚のない淡白な声に、青年は振り返る。紅い瞳よりも目線一つ分下にあった理知的な色を見せる視線は、紅い瞳の青年が振り返る前に想像した姿よりも幾分大人びていた。
「今回は長いのか?」
「さぁな。魔物が居ンならブッ殺してとっとと退散するだけだわ。断りづれェ相手だったからぁ、仕方なく……」
「そ。」
形式的なハグを交わしながら、二人の青年は隣に居ることがさも当然と言った空気で、「久しぶり」という言葉すらも本来は必要ないであろうと感じさせるほどに、当たり前に会話を続ける。
都と真逆の方向へ歩き始める紅い瞳の青年に対し、もう一方の青年はその襟元を掴み、時計塔の方角へ向かう道を進んだ。
「アカ、最近はあの森に行ってないんだ。」
「ハ? なんでだよ。スーちゃん曰く、『花畑』を探して森に住んでるんだろ?」
それは、カルムの妖精——スプーキー=シャドウからの伝言だった。
妖精を使った情報伝達は効率も悪ければ発動速度も遅い原始的な魔法……と言うよりは、おまじないと言うほど頼りないものだ。だが、一箇所に留まらない青年に情報を届けるには確実な手段だった。
青年が都を離れて仕事をしている間にも、ユニオンの仲間を忘れない様にと定期的にカルムが気を利かせて遣わせている。
詰まるところ、自分が持っている情報が『遅い』だけではないかと踏んで掛けた問いだった。
問いかけられた青年はかぶりを振り、他の情報を持っていないことを示すように両手を振る。
「さぁ。俺も知らん。」
「やァい、引きこもり」
「うるさい、放浪チンピラ。」
「オレはお仕事で外出てんだぜ? 売れッ子だし?」
「俺も仕事で籠もってる。」
「どーだか。……聞いたァ? クソ組織の謎集会をブッ壊してやったら訳わかんねェハゲにやたら怒られたんだわ。お仕事だってのに。ゴチャゴチャうッせェし息は臭ェしで最悪だから、力づくで出てきちゃった」
「考え無しの莫迦だろ。分かり切ってた癖に。」
呆れ返った視線に、紅い目の青年は声を上げて笑った。懐かしさを感じたのだ。
昔から、呆れた様な目を向けて、それでもなんだかんだで付き合ってくれる友達というものを愛おしく思っていた。時には呆れて、共に好奇心に目を輝かせ、無茶をして。そうして普段はとても物腰穏やかで優しいローレンスが、想像もできないような剣幕で自分たちを叱るのだ。
ローレンスはアーサーの父親であると同時に、自分の父親の様な存在だった。行く宛のない自分に帰る場所を作ってくれた人だ。
ローレンスだけじゃない。あの親子は、どこにも行けずにいた自分の手を引いてくれた。
黒い髪を忌避する者もいれば信仰する者もいる。どこの誰も自分を見てくれず、稀有な色を持った髪ばかりを見られていたというのに。膨大な魔力とその器としてしか見られなかった造形を、彼らはあたたかな体で抱きしめてくれた。
何もかもが『違う』自分を、一人の人間として受け入れてくれた。
青年——レンは、ただそれだけの事が嬉しかったのだ。
「……アカちゃんにも会いたいけどな」
「もう、良いんじゃないか。」
「まだ。足りないんだよ。わかるだろ」
隣からの返答はない。
暗幕の掛かった空は、都に近づくにつれて星々の姿を消していた。
隣り合う肩が触れ合う事はなく、幼い頃の様に手を繋ぐこともない。なにもかも変わったのだ、あの頃とは。
「アカちゃん。オレ、強くなったよ」