はじめてキスされた時のことはよく覚えていない。
どうしてキスされたのかもわからない。
あの子は俺に微笑んでこう言った。「一生わすれないでいてね」と。
なんだかそれは呪いみたいだなと思ったけれど、
触れ合った唇が震えていたから、黙っていることにした。
幻想的に輝く七色の髪が採光窓の光を反射している。見ようによっては白にも黒にも見える銀色だ。
長い睫毛に縁取られた瞳は青く、まるで晴れた日の空のようでもあると思う。
どこぞの魔法使いとは大違いの明るい色はやわらかな陽だまりのように柔らかく、慈愛の目でもって桃色の花を見つめていた。
〈毒の花畑〉の端から摘んできたらしい切り花の香りを楽しんでいる様子は随分と耽美な光景だったが、果たしてその毒花はウルが去った後も無害なんだろうか? と疑惑の目をかけることはやめられない。
毒花はこの銀色狼の意思ひとつで毒を隠すようになることを知っている。
イオンはアーサーほど森の植生に詳しいわけでもなければ、幼い日のレンから言われたように『なんでも知っている』わけでもない。いくつかの運命の分岐点を知っていて、他人からの質問にほとんど答えられるだけだ。
花を生け終えたウルは自分で用意したティーポットから紅茶を注ぎ(俺が飲んでるのはコーヒー)、イオンへ視線を向ける。
何か聞きたいことがあるらしく、ウルは躊躇いがちにその端正な唇を開いた。
「ファーストキスはレモンの味がするっていうのは本当だと思う?」
「ぶっ」
イオンは口に含んでいたものを盛大に噴き出した。知るか、そんなもの。
コーヒーを噴き出したイオンをものともせずに真剣な表情を保ったまま、彼は返答を待っていた。馬鹿馬鹿しい質問に思えても、ウルにとっては違うらしい。
「お前が一番よく知ってるよ。」
「それどころじゃなかったんだよ!」
ウルは腕を振って抗議する。
けどウルが一番よく知っているのは本当だ。一番最近にファーストキスを経験したのはウルなのだから。
再三宣言しておくが、イオンは『なんでも知っている』わけではない。
ウルがアーサーといつキスしたのかなんて知りもしないし興味もなかった。知っているのはファーストキスを巡ってレン相手に喧嘩をふっかけていたことと、掃除の日にいちゃつきすぎて時間を忘れていたことくらいだ。
(それどころじゃない状況ってなんだ?)
ものすごい濃厚なキスをしたとか? 相手がアーサーなのだから、もしかしたらレンと同じように舌を入れようとしたりだとか、したのかもしれない。
いや、どうして知り合って間もない相手の恋愛話なんか聞かなければならないのだろう?
「真剣に考えてみて? レモンの味!」
「レモン……レモンの味なぁ……。」
イオンは今度こそ天を仰ぐ羽目になった。イオンの初恋は甘く、次の恋は酸い。
寝ぼけていたのか、テンションが高かったのか、酒を飲んでいたのかもわからないけど(あ、その場合は偶然、『うっかり』飲んでしまっただけだ。偶然の産物。俺たちの常識でも子供は酒を飲まない。念の為。)、とにかくあまり覚えていない。
キスしたことは覚えてる。けど、どうしてキスをしたのかはまるでまったく思い出せなかった。イオンはなんでも知っているわけじゃない。
ただ言われたのだ、「一生わすれないでいてね」と。その頃から奴は失言が多かった。
「そんなに爽やかじゃなかったかもな。甘くて濃い、赤くて黒い。野に咲くベリーの味だ。」
思い出した感想を口にしてみれば、ウルは信じられないものを見たような目でイオンを見つめて、顔を紅潮させた。
「……そんなのハレンチだよ!!」
そのキスの味は、染みになって消えやしない。