01 ; 『毒の花畑』

▽最終更新(10/21)

 いやな夢を見ていた。ずっと昔の、いやな夢だった。14歳にもなってまだ引きずっているのかと自分に呆れかえるけど、それはきっと、『この森』だからだ。

 

01 ; 『毒の花畑』
(極彩色はともに生きることはない。いつだって、ひとりぼっち)

 

 陽の登り始めた空が薄く色づき始めていた。森の中で一晩過ごして何にも襲われなかったのだから上々だろう、そろそろ仕事の時間だ。アーサーは気だるい体をぐっと伸ばして地面に敷いていたブランケットを片付ける。
 喚装魔法のマーカーを頼りに倉庫までブランケットを転移すると、魔法反応に気がついた魔物が草陰からアーサーの隙を伺っていた。魔物、肉食ウサギの討伐は、死の危険は少なくとも骨が折れる仕事として知られる。個体は弱いが群れは弱くない、素人では危険なそれらは、戦闘を専門にする〈専門魔法士〉の小遣い稼ぎ――つまりは、アーサーの小遣い稼ぎの常連依頼だった。

「【喚装ハクティウス】・《ウィリアム》、《リヴァース》」

 詠唱したことによって生まれた新しい魔法反応に飛び出す魔物はなにも愚かじゃない。茂みの中から飛び出した魔物に対してショットガンの引き金を引く。銃身の奥で炎の弾となった魔鉱石がさらに四方へと広がり、跳ね上がった魔物のからだに当たる。四匹、残りは十一。個体差はあるものの肥大した体躯はアーサーにとっていい『的』に過ぎなかった。飛び掛かる魔物の着地点一歩手前、その足が地面に着く直前にライフルの持ち手で殴って、地面に落ちたところに一撃。これで残りは十。
 ──いや? おかしい、一匹足りない。視界で捉えてるのは四匹、魔物特有の、異質な魔力は五匹。

「っあ、……っ、」

 瞬間、腹に強い衝撃を受けた。よろける体をなんとか支えて、ライフルに運動強化魔法を連動させながら腹に飛びかかっていたもう一匹を、地面に叩きつける。アーサーの足元には土の盛り上がり。地中を潜ってきたのか、と痛む内臓を抑えながら考えた。

「くそっ……、【響音シノス】!」

 微弱な魔法反応とともに大気を震わせた甲高い轟音が辺りに響く。聴覚の発達した肉食ウサギたちは衝撃に一瞬動きを止めた。その隙に体を翻して群れの中心から逃げ出す。盛り上がった根の密集する方へ、森の奥へ奥へとアーサーは走り出した。
 想定外の動きに混乱した思考を一度整理したい。アーサーが専門魔法士になって今の今まで、肉食ウサギが地中を潜って攻撃なんて動きをしたことはなかった。大丈夫、大丈夫、一人でやれる。アーサーは頭の中で言い聞かせる。
 
 ひとつ、ふたつととりわけ大きな木々の間にからだを滑り込ませる。不安定な足元に、絡み合う木々に足を取られ何度か膝を擦りむいていた。熱を持った傷口が響くように痛む。
 魔物といえどもとは森で生きる動物だ。運動強化魔法があれど、人間の足で撒けるほど甘くはない。
 息が上がりきって、そろそろ迎撃しなければならないと魔法銃を構えたところで、ごう、と強い風が吹いた。

 ──遠吠えが。
 遠吠えがどこからか。吹く風に揺れる木々の音が響く中、不自然なほど鮮明に森に反響した音がアーサーの聴覚を刺激する、肉食獣の遠吠え。

「なんだ……、?」

 迎撃に振り返り見た森の景色に、先程までアーサーを追いかけていた魔物の姿がない。
 木々が多い茂り大きな根が折り重なるこの場で地中を潜ることが不可能であることは明白だ。地上にいれば、その異質な魔力をアーサーがとらえきれない道理はない。確実に『いなくなっている』。
 もう一度、
 遠吠えの主は犬か、狐か、はたまた別の魔物か。それにしては異質で奇妙なものだ。魔力暴走を起こした『魔物』特有の魔力の乱れがない上に、「ただの動物」であれば、魔物である肉食ウサギが逃げる道理はない。
 もう一度高く遠吠えが響く。耳には自信があった。音の根源を探しながら、ポケットに残っている補助用の魔術道具を確認した。魔力をストックした魔鉱石は五つ、非常用の術式を組み込んだ魔法石が二つ。喚装魔法で新しいものを取り出してもいいが、魔法反応が出る以上、特殊な事態にやたらと魔法を使うのは得策じゃないだろう。アーサーは一つずつ、石につながる細いチェーンを手首にかけた。
 息を吸い込んで振り返る。遠吠えが聞こえたのはアーサーの向かっていた先、森の奥。変わらず根は複雑に絡みついているが歩けないほどではない、道。
 アーサーはあまり踏み入ったことがない領域だった。2年あまりの〈専門魔法士〉としての働きの中で、こんなにも森の奥深くまで入り込むことはない。赤い外套のフードを深く被って、ショットガンを体の前に構える。大丈夫、一人でやれる。そう言い聞かせて、重心を低く保ったまま前へ一歩、また一歩と足を進める。すると、ざわめく森はどんどん音を大きくする。光の漏れ出す場所が奥深く、「得体の知れない何かがある」とアーサーは認識する。深く息を吸い込んで、木々の隙間から光の奥へと身を滑り込ませると、広がる、光景。

 『無毒の花にはない豊かな色彩を持った毒の花々は、違う色を持つ植物とはともに育たない。観賞用として愛される鮮やかな色彩はどれもそんな死の危険を孕んだ花々だった』
 赤。見えていたのは鮮やかな色彩。それでも思い出したのは赤色だった。不可思議でいまだ非現実を考えずにはいられない死の光景。ショットガンが思わず手の内から滑り落ちる。
 光の強く差し込む、広大な場所にそれはあった。赤、青、きいろ、チカチカと鮮やかな、目を眩ませるほどの、色とりどりの花々。

 あぁ、知っている。俺は一度だけ、この光景を見たことがある。御伽噺に描かれた、存在しないはずの、毒の花畑。

《new》 
 瞠目するアーサーをよそに強く風が吹いては鈴の鳴るような木々の葉がぶつかり合う音が響く。明瞭さを取り戻した環境音に警戒を取り戻すが、辺りに獣の影は見当たらない。うさぎのように小さな獣であればいざ知らず、高さのない草むらに肉食獣が隠れているとは考え難いだろう。
 獣の鳴き声はただの肉食獣で、魔物が逃げ出すような異質な気配はこの異常な〈花畑〉そのものから発せられたものだった、とアーサーは脳内で結論付けることにした。
「【喚装ハクティウス】・《ノート・エヌ》」
 手帳を広げて森の地図に書き込む。木の位置さえ書き込んでいればそう迷うことはない場所。歴史書にも、御伽噺に描かれた奇跡の光景がこんなに身近にあるとは、にわかに信じ難い。

「――帰っちゃうの?」
 一度屋敷へ帰ろうと踵を返したところで、は、と。思わず声に振り返る。視界には一面の花畑。気のせいかと森の外へ向き直すと頬にひとの指先が触れた。
「ふふっ、やっと気づいてくれた」
 思わずショットガンの安全装置を外すと、警戒するアーサーの様子がおかしいのか、頬に触れた少年はくすくすと笑う。
 思わず目を奪われてしまうほどの眩い輝きだった。
「……、人間?」
「そう見える?」
 問いに問いで返す少年の頭には獣の耳が生えていた。いぬ、の、様な。
「こんにちは、赤ずきんさん」
 当惑するアーサーを気にも止めずに少年は話を続ける。人懐こそうなやわらかな笑みを携えて。
 花畑の極彩色が少年の髪に透けては消えて鮮やかな色彩を乗せる。鏡のようにうつくしい銀色の髪が、アーサーの外套の赤を映しだした。
 身体中の血の気が引く。見覚えのある景色、『見覚えのある光の反射』にアーサーの心臓はどくどくと早鐘を打つが、からだに血は回りきらずに視界がくらくらと回る。

 大きな獣、大きな『銀色狼』、獣の耳を揺らしているこの男は、アーサーと年の変わらなさそうに見える、目の前の男は。
「五年ぶりだね、アーサー」
「死ね、クソ狼」

 ――父親の仇、ではないか?