01 ; 『毒の花畑』

 いやな夢を見ていた。ずっと昔の、いやな夢だった。十四歳にもなってまだ引きずっているのかと自分に呆れかえるけど、それはきっと、『この森』だからだ。

 

01 ; 『毒の花畑』
(極彩色はともに生きることはない。いつだって、ひとりぼっち)

 

 陽の登り始めた空が薄く色づき始めていた。森の中で一晩過ごして何にも襲われなかったのだから上々だろう、そろそろ仕事の時間だ。アーサーは重く気だるい体をぐっと伸ばして地面に敷いていたブランケットを片付ける。
 喚装魔法のマーカーを頼りに倉庫までブランケットを転移すると、魔法反応に気がついた魔物が草陰からアーサーの隙を伺っていた。魔物、肉食ウサギの討伐は、死の危険は少なくとも骨が折れる仕事として知られる。個体は弱いが群れは弱くない、素人では危険なそれらは、戦闘を専門にする〈専門魔法士〉の小遣い稼ぎ──つまりは、アーサーの小遣い稼ぎの常連依頼だった。

【喚装】ハクティウス・《ウィリアム》、《リヴァース》」

 詠唱したことによって生まれた新しい魔法反応に飛び出す魔物はなにも愚かじゃない。茂みの中から飛び出した魔物に対してショットガンの引き金を引く。銃身の奥で炎の弾となった魔鉱石がさらに四方へと広がり、跳ね上がった魔物のからだに当たる。四匹、残りは十一。個体差はあるものの肥大した体躯はアーサーにとっていい『的』に過ぎなかった。飛び掛かる魔物の着地点一歩手前、その足が地面に着く直前にライフルの持ち手で殴って、地面に落ちたところに一撃。これで残りは十。
 ──いや? おかしい、一匹足りない。視界で捉えてるのは四匹、魔物特有の、異質な魔力は五匹。

「っあ、……っ、」

 瞬間、腹に強い衝撃を受けた。よろける体をなんとか支えて、ライフルに運動強化魔法を連動させながら腹に飛びかかっていたもう一匹を、地面に叩きつける。アーサーの足元には土の盛り上がり。地中を潜ってきたのか、と痛む内臓を抑えながら考えた。

「くそっ……、【響音】シノス!」

 微弱な魔法反応とともに大気を震わせた甲高い轟音が辺りに響く。聴覚の発達した肉食ウサギたちは衝撃に一瞬動きを止めた。その隙に体を翻して群れの中心から逃げ出す。盛り上がった根の密集する方へ、森の奥へ奥へとアーサーは走り出した。
 想定外の動きに混乱した思考を一度整理したい。アーサーが専門魔法士になって今の今まで、肉食ウサギが地中を潜って攻撃なんて動きをしたことはなかった。大丈夫、大丈夫、一人でやれる。アーサーは頭の中で言い聞かせる。
 ひとつ、ふたつととりわけ大きな木々の間にからだを滑り込ませる。不安定な足元に、絡み合う木々に足を取られ何度か膝を擦りむいていた。熱を持った傷口が響くように痛む。
 魔物といえどもとは森で生きる動物だ。運動強化魔法があれど、人間の足で撒けるほど甘くはない。息が上がりきって、そろそろ迎撃しなければならないと魔法銃を構えたところで、ごう、と強い風が吹いた。

 ──遠吠えが。

 遠吠えがどこからか。吹く風に揺れる木々の音が響く中、不自然なほど鮮明に森に反響した音がアーサーの聴覚を刺激する、肉食獣の遠吠え。

「なんだ……、?」

 迎撃に振り返り見た森の景色に、先程までアーサーを追いかけていた魔物の姿がない。
 木々が多い茂り大きな根が折り重なるこの場で地中を潜ることが不可能であることは明白だ。地上にいれば、その異質な魔力をアーサーがとらえきれない道理はない。確実に『いなくなっている』。
 遠吠えの主は犬か、狐か、はたまた別の魔物か。それにしては異質で奇妙なものだ。魔力暴走を起こした『魔物』特有の魔力の乱れがない上に、「ただの動物」であれば、魔物である肉食ウサギが逃げる道理はない。
 もう一度高く遠吠えが響く。アーサーは耳に自信があった。音の根源を探しながら、ポケットに残っている補助用の魔術道具を確認した。魔力をストックした魔鉱石は五つ、非常用の術式を組み込んだ魔法石が二つ。喚装魔法で新しいものを取り出してもいいが、魔法反応が出る以上、特殊な事態にやたらと魔法を使うのは得策じゃないだろう。アーサーは一つずつ、石につながる細いチェーンを手首にかけた。

 息を吸い込んで振り返る。遠吠えが聞こえたのはアーサーの向かっていた先、森の奥。変わらず根は複雑に絡みついているが歩けないほどではない、道。
 二年あまりの〈専門魔法士〉としての働きの中で、アーサーはこんなにも森の奥深くまで入り込んだことはなかった。森を縄張りにしていても、十四の少年に任せられる仕事などたかが知れていたからだ。父親の縁から斡旋される仕事はそう悪いものばかりではなかったが、『だからこそ』アーサーの父が、アーサーらの目の前で死に絶えた森の奥の仕事を任されることはなかった。
 赤い外套のフードを深く被って、ショットガンを体の前に構える。大丈夫、一人でやれる。そう言い聞かせて、アーサーは重心を低く保ったまま前へ一歩、また一歩と足を進める。すると、ざわめく森はどんどん音を大きくする。光の漏れ出す場所が奥深く、「得体の知れない何かがある」と認識した。深く息を吸い込んで、木々の隙間から光の奥へと身を滑り込ませると、広がる、光景。

 

 『無毒の花にはない豊かな色彩を持った毒の花々は、違う色を持つ植物とはともに育たない。観賞用として愛される鮮やかな色彩はどれもそんな死の危険を孕んだ花々だった』

 

 赤。見えていたのは鮮やかな色彩。それでも思い出したのは赤色だった。不可思議でいまだ非現実を考えずにはいられない死の光景。
 ショットガンが思わず手の内から滑り落ちる。光の強く差し込む、広大な場所にそれはあった。赤、青、きいろ、チカチカと鮮やかな、目を眩ませるほどの、色とりどりの花々。

 ──あぁ、知っている。俺は一度だけ、この光景を見たことがある。御伽噺に描かれた、存在しないはずの、毒の花畑。

 瞠目するアーサーをよそに強く風が吹いては鈴の鳴るような木々の葉がぶつかり合う音が響く。明瞭さを取り戻した環境音に警戒を取り戻すが、辺りに獣の影は見当たらない。うさぎのように小さな獣であればいざ知らず、高さのない草むらに肉食獣が隠れているとは考え難いだろう。
 獣の鳴き声はただの肉食獣で、魔物が逃げ出すような異質な気配はこの異常な〈花畑〉そのものから発せられたものだった、とアーサーは脳内で結論付けることにした。

【喚装】ハクティウス・《ノート・エヌ》」

 手帳を広げて森の地図に書き込む。木の位置さえ書き込んでいればそう迷うことはない場所。歴史書にも、御伽噺に描かれた奇跡の光景がこんなに身近にあるとは、にわかに信じ難い。

「──帰っちゃうの?」

 一度屋敷へ帰ろうと踵を返したところで、は、と。思わず声に振り返る。視界には一面の花畑。気のせいかと森の外へ向き直すと頬にひとの指先が触れた。

「ふふ、やっと気づいてくれた」

 思わずショットガンの安全装置を外すと、警戒するアーサーの様子がおかしいのか、頬に触れた少年はくすくすと笑う。
 思わず目を奪われてしまうほどの眩い輝きだった。

「……、人間?」
「そう見える?」

 問いに問いで返す少年の頭には獣の耳が生えていた。いぬ、の、様な。妙な耳。

「こんにちは、赤ずきんさん」

 当惑するアーサーを気にも止めずに少年は話を続ける。人懐こそうなやわらかな笑みを携えて。花畑の極彩色が銀色の少年の髪に透けては消えて鮮やかな色彩を乗せる。鏡のようにうつくしい銀色の髪が、アーサーの外套の赤を映しだした。
 身体中の血の気が引く。アーサーにとっては見覚えのある景色、見覚えのある爛々とした光の反射に心臓はどくどくと早鐘を打つが、からだに血は回りきらずに視界がくらくらと回る。

 大きな獣、大きな『銀色狼』。極彩色を写し込む暴力的なまでに美しいその銀色の毛並みがほかにあるわけがない。獣の耳を揺らしているこの男は、アーサーと年の変わらなさそうに見える、目の前の男は。

「五年ぶりだね、アーサー」
「死ね、クソ狼」

 ──父親の仇、ではないか?

 鮮烈な銀の瞳と銀の毛並みを見間違えようものか。
 森の中で聞こえていた遠吠えがこの交獣種のものであることは想像がつく。音の根源にいたのだから間違いない。だが魔物が逃げるようなものだろうか。あの時見た銀狼なら、或いは。

「おまえ、なに? なんで俺の名前知ってるわけ」
「なんで、って、……覚えてないの?」
「知らねえよ」

 銀色の少年に対し、アーサーは淡々と返答した。五年前に父親を殺した狼が、ひとの姿で目の前にいる?

 ──そんなこと、あるわけがない。

 場所や口振りに覚えがありつつも、自身の思考に疑念を抱きながらアーサーはそう結論づけた。鮮やかな色彩の花々が毒を持っていることなど自明なことだ。その毒が空気に蔓延している可能性も、低くはない。ならばこれは花畑が見せた幻覚かなにかだろう。
 喚装魔法でショットガンを倉庫へ送り返しながら花畑の出口への道を塞ぐ体を腕で押しのけて前へ出る。銀色の少年は驚きに目を見開き、アーサーの腕を握った。
 何故? 幻覚と結論づけた相手の目と目が合う。なにも言葉は発さなかった。全てを写し返す銀の虹彩と深い青の瞳。そのまま一秒、二秒と時が過ぎ、アーサーは掴まれた腕を引いて対面した少年の脚をなぎ払い地面に背を着けさせる。ショルダーホルスターに隠し持っていた拳銃の銃口を押し当てた。相手の反応も許さず馬乗りになったアーサーは流れるような動作で安全装置を外して引き金に指をかけた。

「もう一度だけ聞く。おまえ、なに?」

 そして問いかける、言葉。
 爛々と輝く銀の髪は極彩色を映しては鮮やかに色づく。ひらけた空から降り注ぐひかりを反射してはアーサーの視界をチカチカと明転させる。
 指先にほんの少し魔力を込めれば今すぐにでも弾丸が飛び出る。沈黙を許さない、話の流れを変えることも許さない。不意の行動に銀色の少年はほんのすこし目を見開くが、それも一瞬の行動で、青と銀の瞳がそれぞれの輝きを映し出した。

「ウル・シオン。俺は、神様のなり損ない、だよ」

 長い沈黙の後、ようやく口を開いたウルはその人外めいた美貌でただ美しく微笑み、アーサーの手を包み込むように両手を添える。触れ合った体温にアーサーは驚き、思わず手を震わせた。力の抜けた手にウルの指が差し込まれ、拳銃はやんわりとアーサーの手の中から退けられた。それに抵抗することもなく、アーサーの手から拳銃は滑り抜ける。

 聞かなくては。おかしなことを言った、目の前の男は。

「かみさま、って、」
「きみの血で簡単に死んじゃう弱い存在ってこと」
「……ただの、おとぎ話だろ」

 いや、しかしこの現実は? 旧時代の伝説は、ただの伝説に過ぎないと考えていた。しかし目の前に銀色の狼はいる。周りに極彩色の花畑は広がっている。

 ──これではまるであの、《神殺し》の伝説のようじゃないか。

 そんな動揺に揺れていたアーサーは気がつかなかった。その手からやんわりと退けられた拳銃が、ウルの手に握られていることに。その銃口が、対面したアーサーに向けられていることに。

「ねえ、アーサー。俺の父さん、殺してくれない?」
「え?」

 甲高い発砲音が響いて、アーサーは左肩に鋭い痛みを感じる。それと同時に背後からは聞き覚えのある、動物の鳴き声。

「見つかっちゃったみたい」

 貫通した左肩の痛みに喘ぐよりも前に耳に入った異常の報せに振り返ると、目の前に飛び込んだのは大きな影。

 ──なんだこれは。

 アーサーが疑問を抱く前に右腕を掴まれる。ぐんと腕を引っ張られ、ふらついた体がもともとあった場所は土が抉れ、花々が千々に飛ぶ。鋭い鉤爪がめり込んだ。腕を引かれるままに二歩、三歩と距離を取って、影の姿をやっとの事で捉えると、その姿は、アーサーの腕を引いたウルと同じ、燦々と輝く銀色の体毛。

 

 その姿は、五年前に見た獣の狼、そのものであったが。

 

 先ほどのウルの発砲でか、怯んだ大きな銀狼がゆらりと体勢を整える。アーサーは自身の腕を引いていたウルの手を振り払って喚装魔法で取り出した散弾銃の引き金を引くも、その手応えはない。

「おまえッ、あれなんだよ!」
「見ればわかるでしょ、銀狼。逃げなきゃ殺されると思うなぁ」
「ッ、バカ狼!」

 舌打ちをこぼしたアーサーは痛む左肩をかばいながら身を翻しウルの腕をつかみ直した。銀狼がその道を阻んでいて元来た道は戻れない。入ってきたのとは別の場所から花畑を飛び出す。

「さっきの『バカ狼』って、どっちを指してるの?」
「おまえだバカ!」

 アーサーに腕を引かれるままにウルは機嫌よくその足についていった。

「──森、出ちゃおうか。たぶん森にいる限り気づかれる」

 アーサーの運動強化で無理やり動かしていた体が限界を告げ始めた頃、同じく息の上がったウルが逆に手を引いて進行路を変えた。走りながらアーサーは元の道へ戻るように力を込めるが、ウルは気にも止めずに通れない場所があるはずの向きへと足を進める。

「通れないだろ、そっち」
「通れるよ」

 ウルの言葉に滲むのは自信というよりは確信だ。アーサーの記憶では道の先には魔力暴走をおこした茨の密集地があって通れたものじゃないはずだ。十数分と走っている間にウルが森の道を知っていることはおおよそ推察できたが、ならばそれも知らないわけがないだろう。ならば何故。
 案の定目の前に広がったのは大人の足でも数歩と必要のあるほど広がった棘の大きな茨の道だった。よほどの装備がなければ通れないだろうし、半ズボンのアーサーや薄い布生地のブーツを履いた程度のウルではその茨の道を通ることは到底不可能だろう。思った通り、とため息をついて方向転換しかけたアーサーを傍に、ウルはそのまま真っ直ぐ足を踏み入れた。

「ちょっとごめんね、退いて」
「は?」

 ──と、茨の絨毯へ強い力で腕を引かれて痛みを覚悟した瞬間に広がったのは柔らかな芝生。茨が左右に移動するように出来上がった道に何が起きたのかと問ういとまも無い。そのままウルに腕を引かれてアーサーは森の外まで導かれるままに走るしかなかった。

 大きな銀狼に追われていることなど忘れてしまうような美しい微笑みをアーサーへ向けて、「こっち、」と。